鶴屋吉信 「ヨキモノ」を創る 洗練された感性の文化を

ヨキモノヲツクル

京菓子がほぼこんにち見るような姿になったのは、江戸時代に入ってからで元禄期を過ぎ、文化文政期の頃からといわれます。公家文化の復興と茶の湯の文化の興隆によって京菓子も多彩な発展をとげました。

享和3年(1803)、初代伊兵衛による鶴屋吉信の創業は、そのスタートラインにあたります。おりしも輸入砂糖配分のために上菓子屋仲間が結成されて上菓子司の結束と技を磨く切磋琢磨の機運を醸成して京菓子発展に寄与したのでした。

上菓子屋仲間は明治・大正期には「菓匠会」に発展してこんにちに続いています。

明治維新後、鶴屋吉信3代伊兵衛は「柚餅」を創案、西陣織隆盛の地において京菓子司の家業を大きく発展させました。

続く4代稲田儀三郎は、銘菓「福ハ内」を創案、昭憲皇太后をはじめ皇室のご愛顧を賜りました。また「柚餅」を愛好した文人富岡鉄斎との親交によって大看板の揮毫や装画、画賛などを得て京名物として声価を高めました。明治・大正の京都観光ブームに呼応して「京名物協会」の結成を呼びかけ、京みやげの業界発展に貢献したことも 儀三郎の功績として忘れられないことです。

昭和8年、昭和天皇による「柚餅お買い上げ」があり、また第二次世界大戦のさなか、政府による「戦時京菓子18種」のひとつに「柚餅」が選ばれるなど、激動の時代にあっても京菓子司の暖簾は守られて戦後の発展を迎えます。

戦後、5代稲田栄三によって鶴屋吉信は家業の暖簾を株式会社として近代経営に乗せて、東京に支店を築き、多彩な営業活動を発展してきました。 「柚餅」とともに銘菓「京観世」が代表商品として鶴屋吉信発展の力強い牽引力となってきました。

平成26年に移設オープンした東京店や、平成27年にJR京都駅八条口にオープンした「鶴屋吉信IRODORI」では、ハーブのフレーバーの琥珀糖やカラフルなスティック状の有平糖などを販売し、京菓子の新たなスタイルを提案しております。

その他、和菓子作り体験を不定期で開催する等、これからも皆さまに愛される京菓子文化の継承と発展を願い、研鑽を重ねていく所存です。

経営理念
大切な5つの「ヨキモノ」

  1. 良き菓子を創ろう。
  2. 良き社風を育てよう。
  3. 良き印象をお客様に伝えよう。
  4. 良き職場をつくり、 豊かな明日を手にいれよう。
  5. そして、社会に貢献できる 良き企業を目指そう。